【7】時間は少しだけ遡り......。リザレリスとエミルはこっそり部屋を抜け出した。泥棒のように人目の付かないルートを選んで、遠回りに応接室へと向かっていく。「あの、リザさま」「なんだよ」「そこまでなさらなくても......」「ふふん。これなら城の中をうろついていても変じゃないし、王女ってわからないだろ?」ドヤ顔を決め込むリザレリスは、侍女の格好をして白い頭巾まで被っていた。これからお掃除仕事でも始めるみたいに。「そのかわり王女殿下だとバレればルイーズ侍女長に何を言われるか......」エミルは不安を口にする。実はリザレリスの変装衣装は、エミルが風の速さで調達してきたものだった。無論、それがリザレリスの思いつきの命令だったことは言うまでもない。「そん時はおまえが怒られるまでだ」リザレリスはエミルにウインクする。「......お言葉ですが、王女殿下もこってり絞られることになろうかと」「じゃあ見つからないようにしようぜ」リザレリスは前向きだった。というか、彼女は遊び人のノリで楽しんでいた。そうこうしているうちに、目的となる部屋の扉が見えてきた。「リザさま。あの部屋です」エミルはリザレリスに小声で伝えながら、妙に思った。こういう場合、扉の前は警備の者やらで厳重になっているはずだ。なのに誰も立っていない。エミルとしては、部屋の前まで行って「やはり無理ですね」とリザレリスへ言うつもりだった。そうすれば、さすがのお転婆プリンセスも諦めるだろうと。「よっしゃ。こっそりのぞいてやるぞ」何も知らないリザレリスは悪戯少年のような顔でテンションを上げる。エミルは胸に不安を抱きつつも、リザレリスについていく。「エミル。今、人は来ていないよな?」空き巣のようにそそそっとドアの前まで来たリザレリスは、最終確認を行う。「はい。今ならば、大丈夫です」エミルの言葉を聞いてリザレリスは悪い顔で頷くと、ワクワクしながら覗き魔のようにそ〜っとドアを薄~く開けた。「あれ?」「どうなさいましたか?」「誰も、いなくね?」扉の間から見える狭い視界の範囲だったが、誰の姿も見当たらない。何より、話し声が聞こえなかった。「うーん。どういうことだろう」むむむっと考え込むリザレリスの傍で、内心エミルはほっとしていた。不幸中の幸いとはこのことか。ところが、そんな安堵は束
「そこで何をやっている!」エミルに気づくなり、その者はドカドカと部屋までやってきた。狡猾なタヌキ面に怒りを浮かべて。「ど、ドリーブ様」「お前がなんでそこにいる!会談中ではないのか?」「いえ、中には誰も......」「いないのか?」はい、と頷くエミルを押しのけてドリーブは中に入る。すると彼の視界に飛び込んできたのは、場違いにソファーへ深々と体を預けている侍女だった。「なっ!お前は侍女のくせにそこで何をしている!」ドリーブが声を荒げた。当然だ。特別な来客用の高級椅子に侍女が悠々と身を任せているなど、ありえない。「なんだよ、うっせーな。ドリーブのおっさんか」リザレリスは悪びれることなくドリーブを睨んだ。自分が王女であることを隠すために変装していることも忘れて。「このわたしに向かって侍女ごときが何だその口の効き方は!......ん?」怒鳴りながら侍女へ近づいていき、ドリーブは気づいた。「そのお声とお顔......お、王女殿下!」「そうですけどなにか?」リザレリスはムスっとして訊き返す。相変わらず太々しい王女相手に物を言うのは気が引けたのだろう。「た、大変失礼しました」ドリーブはお辞儀をしてから、即座にきびすを返してエミルに歩み寄っていく。「お、おい。なんで王女殿下がここにいる。床に伏せていることにしてやり過ごすんじゃなかったのか?」「はい。しかし、王女殿下が......」「だ、だからと言って、王子たちと出くわしてしまったらどうするんだ!」ドリーブは必死だった。それはそうだろう。王女の政略結婚を強引にブチ上げたのは彼だ。ただ、あれはあくまで城内と国内世論を味方につけるための政治戦略。〔ウィーンクルム〕との本格的な交渉は、時宜を見極めてから改めて行う算段だった。だから〔ブラッドヘルム〕へ、すでに王子二人がお忍びで来ていたことは完全に想定外だった。運が悪かったとも言えるが、把握できていなかったことは痛恨のミスだった。もちろんドリーブ個人の責任というわけではない。だが、もし問題が起こった場合、ドリーブは政治的責任を免れることはできないだろう。「まだ王子たちは帰ってはいないはずだ!今のうちに王女殿下をお部屋へお連れしろ!そもそもお前はこのような事態にならないためにディリアス公から命を受けているのだろう!?」ドリーブは眼を血走らせ、遅れて入室してき
「では、私たちも参りましょう」エミルがそう言って、ドリーブを先頭に三人が部屋を出ようとした時だった。「おっと、これはドリーブ侯」ちょうど廊下から応接室へ入って来ようとした者とかち合った。思わずドリーブはびくっとしたが、王子ではなかった。執事風の年配男性だ。「な、なんだ。グレグソン卿、貴兄か」「失礼しました。部屋には誰もいらっしゃらないと思っておりましたので」グレグソンという名の年配男性は、ドリーブに会釈してから、後ろのふたりへ視線をやる。エミルはグレグソンの顔を見るなり頭の中の記憶をたどる。会ったことがあるような気がしたからだ。「あっ」エミルは思い出した。グレグソンは、雑貨屋にあの兄弟を迎えに来た男だ。「どうした?」リザレリスがのん気にエミルへ声をかける。「知り合いなのか?」「リザさま。こちらの方は...」とエミルが伝えようとしたが、一歩遅かった。「ったく、兄貴のヤツ。わざわざ部屋まで行って待たされてまで王女様の顔見てどうすんだっての。さすがに付き合いきれねえ」
ドリーブは疑問を浮かべ、エミルの耳元へ口を寄せる。「ど、どういうことなんだ?」「これにはちょっとした経緯がありまして......とにかく、王女殿下だということはバレていないようです」エミルの返答に、ドリーブは希望を取り戻し、顔色も取り戻した。「そ、そうか。レイナード王子は、ただの侍女だと思っているということだな」「はい。それはそれでまた別の問題がありますが」「確かに......」 一国の王子が他国の侍女に指を突きつけられているなど、ありえないことだ。ドリーブはひやひやしながら王子と侍女を見守る。「ったく、ここじゃ侍女の教育もままなっていねーのか?」「そんなことより、指輪を渡せよ!」「なーんでこの俺がお前に渡さなきゃならねーんだ。買ったのは俺だ」「割り込んだのおまえだ!」「メンドクセー女だな」「あんだ
「驚かせてしまったようだね」フェリックス王子は、そのままゆっくりと階段を降りてくると、リザレリスを丁重におろした。「ケガはないかい?」「あ、ありがと」さすがのお転婆プリンセスも、しおらしく素直に感謝する。「これはフェリックス王子に一本取られたな。エミル」遅れてディリアスが彼らのもとへ歩いてきた。はたとしたエミルは、即座にフェリックスへ向けて跪く。「た、大変申し訳ございませんでした」「いやいや、悪いのは僕だから。君の動きがあまりに素晴らしかったからね」「い、いえ」頭を垂れたままのエミル。「フェリックス王子は有数の魔導師でもあるんだ」ディリアスが言った。それからディリアスは、侍女姿のリザレリスに視線を移すと、どうしたもんかと考える。フェリックス王子は、彼女が王女だと気づいているのだろうか?気づいていないのなら、このままやり過ごすこともできるが......。そこへディリアスの方針を固める出来事が起
【8】城を後にした王子たちは、早々に帰国の途についていた。島国の〔ブラッドヘルム〕の港から、〔ウィーンクルム〕の港までは、船でニ時間あまりを要する。すでに夜だったが〔ウィーンクルム〕が誇る魔導式船舶であれば何も問題はない。だからフェリックスの意見で少しでも帰国を早めたのだった。誰もウィーンクルムとブラッドヘルムを行き来する商船に、王子二人が乗っているとは思いもしないだろう。入国も出国も、いずれもフェリックスの指示で、部下のグレグソンが手配した。第一王子にとって、お忍びでブラッドヘルムを行き来することは容易かったのである。「つーかよ」王子用に用意された客室の中、レイナードは正面に座るフェリックスへ切り出した。「マジで兄貴は何がしたいんだ?」弟の顔には当惑の色が浮かんでいた。兄はふっと頬を緩めて、穏やかに微笑む。「ディリアス様とお話したことがすべてだよ?」「どうせ俺に説明してもわからねーってことか」ふんっと弟は腕を組んで顔を背けた。「物事にはタイミングというものがあるからね」とフェリックス。
【9】王子ふたりが来訪してからしばらくの間に、リザレリスを取り巻く状況は変化していた。まず、ドリーブの策略によって危ぶまれたディリアスの地位は、以前にも増して安泰した。これはリザレリスにとっても好ましい状況変化といえる。「この度は、誠にありがとうございました......」ディリアスに深々とお辞儀をするドリーブのタヌキ面は、悔しさに満ちたものだった。結果として、ディリアスがドリーブの失策を挽回した形となったからだ。ディリアスがフェリックス王子と王女留学の話をまとめたことにより、ドリーブも救われた格好となったのである。もちろんドリーブ自身リスクは重々承知していた。失敗に終わったこと自体は素直に受け入れている。要するに、政治生命を救われたとはいえ、ディリアスに借りを作ってしまったことが不本意でならないのだ。「し、失礼いたしました......」奥歯を噛み締めてドリーブが部屋から辞去していくと、ディリアスは吐息をついた。「ドリーブ卿は、一番の政敵である私に借りを作ってしまって悔しいだろうな」「これで大人しくなってくれればいいですね」何の他意もなく部下が言うと
【10】王子来訪以来、エミルは城外にある人気のない空き地によく足を運ぶようになっていた。リザレリスを取り巻く状況が変化したことと並行して、エミルの心境も変化していた。もっとも彼の場合は、個人的な感情に起因していた。「精が出るな。エミル」そこへディリアスがやってきた。すでに空は夜に染まっていた。「ディリアス様。お忙しいところ、こんな時間にお呼び立ていたしまして申し訳ございません」エミルは動作を止めて、ディリアスに体を向けた。綺麗なエミルの白い顔は火照り、汗が滴り落ちている。「今は私たちだけだ。そんなに堅い言葉使いはしなくていい」「そうですね、先生。それでは早速ぼくと手合わせ願いませんか?」エミルは意気込んで構えるが、肩で息をしていた。ディリアスは吐息をつく。「少し休憩を取りなさい」「嫌です」生贄の美少年は、熱い青少年の眼差しを向けた。「すぐにやらせてください」「そん
【11】留学まで残りあと僅かとなったある日。午前の授業を終え、いったん自室に戻ったリザレリスは、はたとする。「俺...わたしは、なにマジメに王女やってんだー!」ここのところのリザレリスは、日々ルイーズの授業を受けながら、城内と城の近辺だけで過ごしていた。留学したら自由にできると思って、今は大人しくしていたというのもある。ヘタに何かをやらかして留学の話が飛んでしまったら元も子もない。だが、そろそろ限界を来していた。「留学はマジで楽しみだ。なんせ前世でも経験したことないんだから。だから今は遊ぶのも我慢してたけど......もう遊びてー!!」リザレリスは叫んだ。前世の人格から飛び出した、まさしく魂の叫びだった。「てゆーか最近はエミルの奴もあんまり絡んでくれないし。そうだ。エミルを連れ出して、また一緒に外へ遊びに行こう!」思い立ったが吉日。リザレリスはドタドタと部屋を飛び出した。「エミル・グレーアムですか?外に行っておりますが。場所は確か......」臣下のひとりに教えてもらい、リザレリスは廊下を駆け抜け城を出ていく。召使いに命令して呼び出したほうが楽なのに、リザレリスは自分で探しに行った。そうしたかったから。
【10】王子来訪以来、エミルは城外にある人気のない空き地によく足を運ぶようになっていた。リザレリスを取り巻く状況が変化したことと並行して、エミルの心境も変化していた。もっとも彼の場合は、個人的な感情に起因していた。「精が出るな。エミル」そこへディリアスがやってきた。すでに空は夜に染まっていた。「ディリアス様。お忙しいところ、こんな時間にお呼び立ていたしまして申し訳ございません」エミルは動作を止めて、ディリアスに体を向けた。綺麗なエミルの白い顔は火照り、汗が滴り落ちている。「今は私たちだけだ。そんなに堅い言葉使いはしなくていい」「そうですね、先生。それでは早速ぼくと手合わせ願いませんか?」エミルは意気込んで構えるが、肩で息をしていた。ディリアスは吐息をつく。「少し休憩を取りなさい」「嫌です」生贄の美少年は、熱い青少年の眼差しを向けた。「すぐにやらせてください」「そん
【9】王子ふたりが来訪してからしばらくの間に、リザレリスを取り巻く状況は変化していた。まず、ドリーブの策略によって危ぶまれたディリアスの地位は、以前にも増して安泰した。これはリザレリスにとっても好ましい状況変化といえる。「この度は、誠にありがとうございました......」ディリアスに深々とお辞儀をするドリーブのタヌキ面は、悔しさに満ちたものだった。結果として、ディリアスがドリーブの失策を挽回した形となったからだ。ディリアスがフェリックス王子と王女留学の話をまとめたことにより、ドリーブも救われた格好となったのである。もちろんドリーブ自身リスクは重々承知していた。失敗に終わったこと自体は素直に受け入れている。要するに、政治生命を救われたとはいえ、ディリアスに借りを作ってしまったことが不本意でならないのだ。「し、失礼いたしました......」奥歯を噛み締めてドリーブが部屋から辞去していくと、ディリアスは吐息をついた。「ドリーブ卿は、一番の政敵である私に借りを作ってしまって悔しいだろうな」「これで大人しくなってくれればいいですね」何の他意もなく部下が言うと
【8】城を後にした王子たちは、早々に帰国の途についていた。島国の〔ブラッドヘルム〕の港から、〔ウィーンクルム〕の港までは、船でニ時間あまりを要する。すでに夜だったが〔ウィーンクルム〕が誇る魔導式船舶であれば何も問題はない。だからフェリックスの意見で少しでも帰国を早めたのだった。誰もウィーンクルムとブラッドヘルムを行き来する商船に、王子二人が乗っているとは思いもしないだろう。入国も出国も、いずれもフェリックスの指示で、部下のグレグソンが手配した。第一王子にとって、お忍びでブラッドヘルムを行き来することは容易かったのである。「つーかよ」王子用に用意された客室の中、レイナードは正面に座るフェリックスへ切り出した。「マジで兄貴は何がしたいんだ?」弟の顔には当惑の色が浮かんでいた。兄はふっと頬を緩めて、穏やかに微笑む。「ディリアス様とお話したことがすべてだよ?」「どうせ俺に説明してもわからねーってことか」ふんっと弟は腕を組んで顔を背けた。「物事にはタイミングというものがあるからね」とフェリックス。
「驚かせてしまったようだね」フェリックス王子は、そのままゆっくりと階段を降りてくると、リザレリスを丁重におろした。「ケガはないかい?」「あ、ありがと」さすがのお転婆プリンセスも、しおらしく素直に感謝する。「これはフェリックス王子に一本取られたな。エミル」遅れてディリアスが彼らのもとへ歩いてきた。はたとしたエミルは、即座にフェリックスへ向けて跪く。「た、大変申し訳ございませんでした」「いやいや、悪いのは僕だから。君の動きがあまりに素晴らしかったからね」「い、いえ」頭を垂れたままのエミル。「フェリックス王子は有数の魔導師でもあるんだ」ディリアスが言った。それからディリアスは、侍女姿のリザレリスに視線を移すと、どうしたもんかと考える。フェリックス王子は、彼女が王女だと気づいているのだろうか?気づいていないのなら、このままやり過ごすこともできるが......。そこへディリアスの方針を固める出来事が起
ドリーブは疑問を浮かべ、エミルの耳元へ口を寄せる。「ど、どういうことなんだ?」「これにはちょっとした経緯がありまして......とにかく、王女殿下だということはバレていないようです」エミルの返答に、ドリーブは希望を取り戻し、顔色も取り戻した。「そ、そうか。レイナード王子は、ただの侍女だと思っているということだな」「はい。それはそれでまた別の問題がありますが」「確かに......」 一国の王子が他国の侍女に指を突きつけられているなど、ありえないことだ。ドリーブはひやひやしながら王子と侍女を見守る。「ったく、ここじゃ侍女の教育もままなっていねーのか?」「そんなことより、指輪を渡せよ!」「なーんでこの俺がお前に渡さなきゃならねーんだ。買ったのは俺だ」「割り込んだのおまえだ!」「メンドクセー女だな」「あんだ
「では、私たちも参りましょう」エミルがそう言って、ドリーブを先頭に三人が部屋を出ようとした時だった。「おっと、これはドリーブ侯」ちょうど廊下から応接室へ入って来ようとした者とかち合った。思わずドリーブはびくっとしたが、王子ではなかった。執事風の年配男性だ。「な、なんだ。グレグソン卿、貴兄か」「失礼しました。部屋には誰もいらっしゃらないと思っておりましたので」グレグソンという名の年配男性は、ドリーブに会釈してから、後ろのふたりへ視線をやる。エミルはグレグソンの顔を見るなり頭の中の記憶をたどる。会ったことがあるような気がしたからだ。「あっ」エミルは思い出した。グレグソンは、雑貨屋にあの兄弟を迎えに来た男だ。「どうした?」リザレリスがのん気にエミルへ声をかける。「知り合いなのか?」「リザさま。こちらの方は...」とエミルが伝えようとしたが、一歩遅かった。「ったく、兄貴のヤツ。わざわざ部屋まで行って待たされてまで王女様の顔見てどうすんだっての。さすがに付き合いきれねえ」
「そこで何をやっている!」エミルに気づくなり、その者はドカドカと部屋までやってきた。狡猾なタヌキ面に怒りを浮かべて。「ど、ドリーブ様」「お前がなんでそこにいる!会談中ではないのか?」「いえ、中には誰も......」「いないのか?」はい、と頷くエミルを押しのけてドリーブは中に入る。すると彼の視界に飛び込んできたのは、場違いにソファーへ深々と体を預けている侍女だった。「なっ!お前は侍女のくせにそこで何をしている!」ドリーブが声を荒げた。当然だ。特別な来客用の高級椅子に侍女が悠々と身を任せているなど、ありえない。「なんだよ、うっせーな。ドリーブのおっさんか」リザレリスは悪びれることなくドリーブを睨んだ。自分が王女であることを隠すために変装していることも忘れて。「このわたしに向かって侍女ごときが何だその口の効き方は!......ん?」怒鳴りながら侍女へ近づいていき、ドリーブは気づいた。「そのお声とお顔......お、王女殿下!」「そうですけどなにか?」リザレリスはムスっとして訊き返す。相変わらず太々しい王女相手に物を言うのは気が引けたのだろう。「た、大変失礼しました」ドリーブはお辞儀をしてから、即座にきびすを返してエミルに歩み寄っていく。「お、おい。なんで王女殿下がここにいる。床に伏せていることにしてやり過ごすんじゃなかったのか?」「はい。しかし、王女殿下が......」「だ、だからと言って、王子たちと出くわしてしまったらどうするんだ!」ドリーブは必死だった。それはそうだろう。王女の政略結婚を強引にブチ上げたのは彼だ。ただ、あれはあくまで城内と国内世論を味方につけるための政治戦略。〔ウィーンクルム〕との本格的な交渉は、時宜を見極めてから改めて行う算段だった。だから〔ブラッドヘルム〕へ、すでに王子二人がお忍びで来ていたことは完全に想定外だった。運が悪かったとも言えるが、把握できていなかったことは痛恨のミスだった。もちろんドリーブ個人の責任というわけではない。だが、もし問題が起こった場合、ドリーブは政治的責任を免れることはできないだろう。「まだ王子たちは帰ってはいないはずだ!今のうちに王女殿下をお部屋へお連れしろ!そもそもお前はこのような事態にならないためにディリアス公から命を受けているのだろう!?」ドリーブは眼を血走らせ、遅れて入室してき
【7】時間は少しだけ遡り......。リザレリスとエミルはこっそり部屋を抜け出した。泥棒のように人目の付かないルートを選んで、遠回りに応接室へと向かっていく。「あの、リザさま」「なんだよ」「そこまでなさらなくても......」「ふふん。これなら城の中をうろついていても変じゃないし、王女ってわからないだろ?」ドヤ顔を決め込むリザレリスは、侍女の格好をして白い頭巾まで被っていた。これからお掃除仕事でも始めるみたいに。「そのかわり王女殿下だとバレればルイーズ侍女長に何を言われるか......」エミルは不安を口にする。実はリザレリスの変装衣装は、エミルが風の速さで調達してきたものだった。無論、それがリザレリスの思いつきの命令だったことは言うまでもない。「そん時はおまえが怒られるまでだ」リザレリスはエミルにウインクする。「......お言葉ですが、王女殿下もこってり絞られることになろうかと」「じゃあ見つからないようにしようぜ」リザレリスは前向きだった。というか、彼女は遊び人のノリで楽しんでいた。そうこうしているうちに、目的となる部屋の扉が見えてきた。「リザさま。あの部屋です」エミルはリザレリスに小声で伝えながら、妙に思った。こういう場合、扉の前は警備の者やらで厳重になっているはずだ。なのに誰も立っていない。エミルとしては、部屋の前まで行って「やはり無理ですね」とリザレリスへ言うつもりだった。そうすれば、さすがのお転婆プリンセスも諦めるだろうと。「よっしゃ。こっそりのぞいてやるぞ」何も知らないリザレリスは悪戯少年のような顔でテンションを上げる。エミルは胸に不安を抱きつつも、リザレリスについていく。「エミル。今、人は来ていないよな?」空き巣のようにそそそっとドアの前まで来たリザレリスは、最終確認を行う。「はい。今ならば、大丈夫です」エミルの言葉を聞いてリザレリスは悪い顔で頷くと、ワクワクしながら覗き魔のようにそ〜っとドアを薄~く開けた。「あれ?」「どうなさいましたか?」「誰も、いなくね?」扉の間から見える狭い視界の範囲だったが、誰の姿も見当たらない。何より、話し声が聞こえなかった。「うーん。どういうことだろう」むむむっと考え込むリザレリスの傍で、内心エミルはほっとしていた。不幸中の幸いとはこのことか。ところが、そんな安堵は束